ポジティブワード
ここでは、ネット上の悪評を見て不安になり、何を信じていいかわからなくなったメンバー達がどのように克服したのかポジティブな声を掲載してみました。あなたの心に勇気が吹き込まれることを祈ります。
この他にもメンバーからのポジティブな声をドシドシ募集します。
・もともと悪評されていることも分かっていたので、ネットに書かれていることより、自分が体験・目の前で見ている事実(先生の御言葉やメンバーの姿)が正しいと感じていたから。
・一番は自分が摂理にきて、それで人生が幸せになった!と自信を持って思えた部分でした。救われたという思いと、昔の自分に戻りたくないと思えたのが大きかったなって思います。
・先生をよく知る人から話を聞いて、誤解が解けました。
・悪評サイトを見てしまったことを、すぐに近くの人に伝えたことにより、リーダーがお祈りをしてくださって、「何かあったら何でも聞いてほしい」と切実に心配した様子で言ってくださったのが心に残っています。
・先生のセックススキャンダル(特にチアに対して)がアンチ摂理の言い分だったが、自分もチア経験があり、少なくとも自分は先生に言い寄られたことは無かったので、反対意見が言えるため。先生にレイプされたこともされそうになったことも当然無い。
・先生の御言葉を聞いて実践している自分自身が一日中暇なく走っているのに、その御言葉を伝えている先生が汚名を着せられるような暇な時間がないと実感しているから。
・自分が直接見たものを信じようと思ったから。自分が御言葉を聞いて変わったことや感じたことは誰にも否定できないと思ったから。
・以前と違う矛盾した主張(以前は、先生から異性的な行為をされたわけではないと言っていたのに、その後、されたという主張に変わっていた)を読んで、これは間違いだとはっきり分かった。
・自分が摂理で経験してきた癒しや信仰体験、摂理歴史が答えだという確信は否定できないものだから、自分が見てきたものを信じるというのもありました。それと、自分や誰かが(人間が)、いつも正しい判断ができるとは考えていなかったので、必ず人間は間違うから、悪評する人も自分も、家族もいろいろと言っていろいろな考えを言うけど、自分で判断しないで、周りの人間の意見も信用しないで、神様とイエス様に願い求めました。
・反対側の牧師さんのところにも合宿をするようになり先生についてはひどく言われましたが、いくら反対でも牧師なのでイエス様についてはひどく言われませんでした。その牧師さんが述べ伝えるイエス様と私がそれまで聞いてきた先生の伝えるイエス様を比べたとき、先生の伝えるイエス様がより近く、生々しく、愛があふれていると感じ、いくら真理を否定されたとしてもイエス様に愛でつかまれている感覚がありました。
・御言葉を通して神様、イエス様を感じていたからです。
・ネットの内容と、自分が直接接していたメンバーとのギャップが大きかったので、ネットより自分がよく知っているメンバーを信じようと思ったからです。そのときは神様を信じようというよりは、幼かったこともあり、メンバーを信じようと思っていました。
・乗り越えられたけど、絶対的な信仰によって乗り越えたわけではなかったので、だいぶ傷になって、頭に残っていて、このままでは死んでしまうと思い、本当に命をかけて悔い改めてもがいた期間がありました。このままでは霊魂が死ぬというのを強く感じて、泣きながら悔い改めました。そのように命を懸けて悔い改めなかったら、今どのようになっていたか、わかりません(^^;)
・やはり目に入ってしまった害は大きくて、調子が悪くなった時など見てしまった悪評がちらちらと頭を掠めて苦しかったです。悔い改めて、決心した時にようやく浮かんできたりしなくなりました。
・メンバーとの信頼関係が大きかったと思います。デビュー直後はイエス様も先生もまだそこまで確信がなかった自分にとって、目に見えるメンバーがいたことが救いでした。正直見てしまった時はとても不安になりました。でも御言葉学んでるだけなら別に害はないはず、とは思ってました。先生は信じられないけど、メンバーの普段の行いを見ていたら絶対に間違いない!という確信はありました。
・サイトを見る前から、メンバーであるにもかかわらず2ちゃんねるなどを見ていたため、「インターネットなんてのは嘘や悪口ばかりで信用ならない」という考えが強かったこと。そもそも導かれる前から、マスメディアを信用しない人間だった。教科書すら疑うぐらいの大変なひねくれ者だった。
・悔い改めに尽きます。迫害の文章が脳裏に焼きつく、あの恐ろしさは自分の力では解決できません。また、先生に対する疑いの種が蒔かれることも厄介です。聖霊運動があって本気で悔い改めるきっかけをもらって非常に感謝しています。
・女性の心理からいって、「犯された」ことをあんなにも詳細にかけません。しかも公共の場で不特定多数の人が見る事をわかっているのにです。「私は犯されたのよー、この私よー」というのを公共放送で流してると。女性心理としては全く理解できません。犯されたことを武器にする人がどこにいるでしょうか。強姦にあった女性の心理を調べてみても、人に言うことは出来ないといった人が大半です。だから、「やっぱりこの話は嘘だ」と思ったのです。
・脱会資料を細かく見る中で、疑問点がいくつか出てきた。「先生が女好きなら、どうして男性信者が居るのか」「皆で小銭を出し合って料理を楽しむ事がなぜいけないのか」。それまで自分を管理してくれた人、メンバーとの思い出を振り返りながら、1つの目的のために自分を優しく迎えてくれた数々の事が結び付けられなかった。そんな事のために時間を出してくれた皆の頑張り、特に男性信者の頑張りが理解できなかった。また、自分が御言葉を聞いてから、祈りが聞かれた事、神様のあらゆる奇跡的な助け、働き、存在は、疑いようがなかったから、神様に(この人たちの中で分からずして悪い行いをしている人が居るなら、助けてあげて下さい)と祈っていました(笑)
・悪評をしている本人に、私自身もネットで悪口を書かれていて、それが事実と異なることから、やはり嘘を書いていると確信しました。
・自分の見たもの、聞いたもの、体験したものに勝るものはありません。悪評サイトを書いた人たちが自分に何をしてくれたのか。しかし、御言葉はたくさんの元気と希望を与えてくれましたし、先生との思い出は何にも代えがたいものでしたから。
・御言葉があっているのかわからないという事や先生の裁判のことの信頼性などは自分が幸せになったんだから細かい事を気にしないで、信じてやっていこうって思えました。別に摂理を出て、自分の人生が摂理を出た方が今よりも幸せになると思えなかったです。
・アンチ摂理サイトを見ても、結局、摂理の悪口ばかりが書かれており、自分の精神状態に良い影響を及ぼさないのが感じられ、むしろ時間を膨大に喪失しているだけだと感じるようになった。
・悪評する人たちの言動や行動が幼く思えた。(出て行ったなら出て行ったなりに、悪評せずに自分の人生を生きればよいのにと思う)
・最終的には、「たとえ先生が超ペテン師で私が騙されているのだとしても、害になるようなことは何もやってないから、それでもいい」と思っていたからだと思います。
・言葉じりはそれほどでもないが、悪評サイトはメンバーに対して攻撃的な雰囲気が伝わってくる。
・いくつか悪評サイトを見た中で先生の名前や国籍、性別等知れたので良かったのですが、そのすべての悪評自体に信憑性がなかった事とインターネットという誰もが見れる場で人の事を悪く言うのはその行為自体が間違ってるし、失礼な人達だと思いました。
・イエスさまの当世と同じように、保身・嫉妬・疎外感を理由に迫害する人がいるんだなぁと思い、迫害者に哀れみを感じると共に、やはり先生はイエスさまと同じ道を進まれているんだという実感が増しました。
・その脱退した人がいう状況がいまと全然違っていたので比較すらできなかったですし、真理はここにはない、というのも単に悟れていない人の言い訳にしか思えなかった。
・ヨセフの話と先生の話がかぶって見えたので。イエス様の時代のように、正しいからこそ迫害が起こるんだと確信したため。
・僕にだけ与えられた奇跡以外の何物でもないしるしを見せて下さった経験があるので、つらいときはそのことを思い出すようにしています。
・その日、恐くなって泣きに泣いて、泣き疲れて寝たときに、強い光がこちらにきて包まれる夢を見て、起きたら「神様は間違ってないっ」と自分の口から言葉が出たから。また、一人信頼しているメンバーがいたことや、摂理に来る前からのもともとの友達が御言葉を聞いていたことが支えになった。
・月明洞!!今考えても1度目の訪問に、主が協力に働いてくださったことを強く感じます!
・先生がもし本当に姦淫の罪を犯したのならイエス様は絶対に現れないと思うし、御言葉を受けることなんてできないと確信していたから。
・ショックで霊が瀕死状態だったが、「神様」と一言心の中で叫んだところ、先生の笑顔の写真を思い出した。あのステキな笑顔をする人が、サイトに書き込まれている悪いことをするはずがない、できる訳がない、と思って乗り越えた。
・今思うと、乗り越えてこれたのは「自分は絶対に先生を裏切れない」という思いが乗り越えられた理由なのではないかと思います。先生がイエス様のことを紹介してくださったから新婦として装うことができることの大きさがどれだほど大きいか切実に感じてます。
・かなり揺れました。指導者になっても揺れました。…でも、摂理が間違っていたら、先生が間違っていたら、このような御言葉は宣布され続けられるでしょうか?…適当に書ける御言葉でしょうか?豊かな御言葉のおかげです。あまりにも御言葉に触れない反対側の意見主張には、100%の説得力がありませんでした。
・それでもこの御言葉は間違いがないという確信があったから。自分が体験してきたこととあまりに違うことが書かれていたから。
・メンバーがどう見ても善の側の人間なので、先生も悪い人ではないはずと思えた。また、ほんとに先生が罪人ならわざわざ命がけで獄の中から御言葉を送ったりするはずがないので、先生のことを信じられた。濡れ衣を着せられたヨセフの話からも、むしろほんとの歴史だなと思えたから。
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